父の十三回忌・・・茶漬けの思い出
2014-10-28


日曜日は、菩提寺で父の十三回忌の法要。。。
父が74歳で他界してから12年の月日が経ちました。
生きてていたら今年で86歳・・・。

中央区佃島で代々佃煮屋を稼業としている家の次男に生まれてた父は、
お洒落で銀座が大好き、買い物が大好き、旅行が大好き。。。
そして、決して食通とは言えないけど、食べ物にはうるさい父でした。

塩の吹いた鮭一つまみで茶漬けをかき込む父・・・。
茶漬けは、箸でお茶とご飯は一緒に流し込まなくてはいけないと一家言があり、
茶漬けの湯(茶)を先に飲んで、その後ご飯を食べたり、レンゲで食べるのは
粋な食べ方ではないと、言いたかったのでしょう。
私は、一度だけ茶漬けの食べ方を褒められた事を覚えています。
それは、一緒に香港へ旅行して日本食レストランで、締めに茶漬けを食べた時
でした。
今思うとあまり上品な食べ方ではないですかど、茶漬けを食べている父は、
美味しそうに食べていたように思います。

塩の吹いた鮭も思い出の一品です。
銀座の三越や松屋の地下食品フロアーで、鮭の切り身を焼くと塩の塊が切り身を
覆い尽くす様なしょっぱ〜い鮭を一切れ買って来ます。
それを焼いて置いて、食事の締めに大き目な茶碗にほんのく少しのご飯をよそって、
辛い鮭を箸の先に一つまみして、茶漬けを流し込みます。
この時、決してご飯を茶碗一杯によそうと怒られます。
焼いた鮭は、一週間程度は冷蔵庫を行ったり来たりしていました。

法事の席でこの辛い鮭の話が出て、今は弟が父の後を継いでいて、さらに、
姪が後継者候補だそうです。

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口にするもについては、かなりこだわりがあつた父でした。
言葉を帰ると、好き嫌いが多かったと言う事ですが・・・。
煮物は、やっぱり日本橋弁松の濃い味が好きでした。
家で作る煮物にも注文が多く、お正月のクワイの煮物は煮汁がたっぷりで、
クワイが泳いでいないとダメでした。

昨年閉店した銀座松坂屋にも、父の思い出がありました。
まだ、父の母が元気な頃、松坂屋の食堂の「おでんと茶飯」が美味しいと、
よく一緒に食べていました。

父と食べ物の思い出はまだまだたくさんあります。。。

禺画像]



[草紙]

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